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2010年8月

カタカナ語を押し戴く

Paris713さんとの議論のなかで「相手が不快ならばそれはしてはならない」とされるハラスメントは、たえずその考え方の是非を含めて世の中の人の議論の対象になるべきだと思うのです。それがなされないハラスメントという言葉の独走は危険だと考えます。

一つ前の記事で耐えがたい環境に置かれて職場を辞めた女性の事例(統合失調症患者やその家族・支援者向けのサイトにあったもの)に触れました。

ある販売店に就職した女性は、せっかく長く勤めていたのに、店長が変わったことで辞めてしまいました。「そこにいない店員の陰口をいっているのが耐えられなかった」と理由を話してくれました。

私は「どうにかならなかったのか」と書きましたが、この事例を書いた医師は、陰口のない職場はこの病気にかかっていない普通の人にとっても、快適な職場であって、病気の人のためにだけ特別な配慮をする必要はないのだという趣旨のことを書いています。

私もそれに賛成です。ハラスメントだと騒ぐのでなく、話し合って普通の人にとっても良好な環境を追求する。人間というのは誰かに不快な行為をしてしまうものであり、穏当に言っても分かってもらえない相手に自分の訴えたいことを理解させるためにあえてする不快行為もあります。

不快行為を、是正すべきものとそうでないものに、それが不当であるか否かの吟味が行わなければならないと考えます。上の場合であれば、陰口が店員の侮辱・中傷するだけであって一利もないうえ陰に隠れた卑怯な行いであるから、是正すべきだといえるでしょう。

ハラスメントというカタカナ語を押し戴いて、それに疑問も持たず世の流れに唯々諾々と従う風潮を好ましいとは私は思いません。また、カタカナ語を定義もせずに絶対悪のように言う風潮も、そんなんで定着するのかと思います。「してはいけない」のはどんなハラスメントか、どのように解決したらいいのか…。

いろいろ問題点を挙げましたが、Paris713さんへの問いかけでもあります。

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