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暴力的なセクハラ研修

http://zanbajiru.cocolog-nifty.com/blogtytle/2010/05/post-a2e6.html

しかし、遠まわしに同じ職場の先輩からは、法律を犯していないといって威張れるものではないということは言われた。セックススキャンダルを起こした人間は、段々と影響力を失っていくと、ほのめかされた。

というか…ですね。セクハラが何であるか、研修なり何なりキチンと定義付けして教えるということがないので、こういうことで私が悩むことになったのですよ。

こういうことはセクハラには当たりませんと、セクハラの3要素(つまり「職場の権力関係を利用した」「性的である」「やられた側が不快と感じる」言動)だときちんと伝えるのをすっとばして「環境型」だの「対価型」だのという分類を定義だとして教えるような研修は、言葉の本来の意味を顧みないディスコミュニケーションでしかないんだな。

そんな発信側、受信側が「セクハラ撲滅」を当然の前提に置いて反対者をあらかじめ封じ込めておいて、「セクハラとは何か」を落ち着いて考えさせるような雰囲気を作らず、いかにも悪そうなことを例示した上でそれを分類することをもって「定義付け」をしているように見せる。まるで「セクハラだから悪なのだ」(ほんどうは個々の行いが不道徳であるのでそれをセクハラという)というような発想を無批判に広めるような、集団教育をやっているわけですよ。その帰結が冒頭のような先輩の言葉なのでしょう。

あのですね。本人が「不快だ」と言っているのですか。その証明がないのに、「威張れるものではない」「セックススキャンダル」と言われても、妄想にもとづいてつっつかれていることにしかならず、やめにしてもらいたいとしか言えない。それを遠まわしに言おうと、直接的に言おうと、暴力的なものは暴力的なものだ。ゆえに、現状のセクハラ研修などは暴力を助長していると言わざるをえません。

ってか、「セクハラの定義」として「対価型」「環境型」というのを挙げているのがうちのコンプライアンス・セクハラ研修なんですよね。それって「分類」だろ、おい。

この「セクハラ冤罪」は名目的に確認できなかった。しかし、実質的には確認できた、というのが、冒頭のポストの結論ですね。

16歳年下に声をかけようが、「不快」と思われなければ違法ではない。不道徳でもない。でね、会社が隠蔽しようとして「平気です」と言わせたのだ、という疑問が残るかもしれないけれど、その証拠は? 私は自分が暴力の被害に遭った証拠を冒頭に掲げた。ほんと、人の労働意欲に水をかけるのには最高の言葉だ。

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コメント

クズは信じていればいいさ。セクハラという罪で訴えることの正当性の確かさを。

というか、どういう人間が言うかが、その言辞の当否を決定するという嘘を。

私は言ったよ。殺人犯が言ったからといって、その言辞の当否を左右するものではないということを。

セクハラといったって、その背景、経緯、推移はさまざまで、吟味しなきゃいけない。それをしているか。

「相手に不快に思わないことをする」という道徳的に正しいことをしたって、広義のセクハラに問われることはあるのだ。

投稿: バジル二世 | 2010年5月 9日 (日) 23時02分

まあ、昨夜のコメントは多少乱暴です。ご容赦ください。

「他人が不快と感じることはしない」という道徳的に間違っていないことを続けていても、広義・狭義かかわりないセクハラに問われることはあるのだ、という真意です。

キーの勢いに任せてしまった(笑)。

投稿: | 2010年5月10日 (月) 11時50分

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